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第一回は新潟県の伝統工芸『鎚起銅器』作家の西片正さんを訪ねました。

■鎚起銅器について

( nagi ) 鎚起銅器という伝統工芸は、平たく言えば銅板を叩いて形状を造っていく事だと思うのですが、それより一歩すすんだ説明というか、特徴というか、、

(正)  、、、、一言でいえば、冷たい金属があたたかくなるという感じですか、、。まあ逆にいえば手が入りすぎて甘ったるくなるかもしれませんけれど(笑)
人間のタッチが伝わっていく良さっていいますかね、多分そういう部分で鎚起銅器が続いているのかなってところですかね。銅なんて錆びやすいものだから、移ろいを楽しむというか、

(nagi)  鋳物と比べると暖かいっていう印象はありますよね。

(正)  一長一短で、あれは、重くてどっしりして重量感がって、頑丈な感じで、鎚起は、それに比べると華奢ですが、普段使うには重さもちょうどいいって言いますかね、、、
使い方でしょうけど、一番の問題点は、錆びる(笑)。
錆びをうまく色にも使っているんですけどね、手入れが悪かったり、普段使わなかったりすると、汚れっぽくなります。逆に、使えば使うほど色艶が深まりますので、その辺りが、愛用する上での、ひとつの分かれ目ですよね。

(nagi)  鎚起銅器は、いつ位からはじまったのでしょうか?

(正) 燕に関していえば、1700年代からでしょうけど、甲冑とか、鍋釜とか、本当は、どこにでもあった仕事だったと思うんですよね。たまたま、新潟に関しては、銅山が弥彦山の裏にあって、それで、精錬所が燕にあって、仙台から1700年代半ばに職人が来たという、、、、
そんな話は今でも伝わっています。

時代が変わり、仕事内容も、だいぶ5年、10年20年と様変わりしてますけれど、鎚起銅器に関しては、美術工芸的な部分にも足を踏み入れながら、量産ラインではつくれないという、時代と逆行しているところがあります。それが面白さでもありますよね。

(nagi)  一般の方々には金属の器ってあまり馴染みが薄いでしょうね。

(正)  金属は硬い、冷たいというイメージあるから、陶器みたいに使えないなってイメージがあるんでしょうね。でも実は案外感触は柔らかいんですよね、思ったよりもね。
金属の良さって、堅牢さっというかね、、、
特に鎚起の場合は、軽くて丈夫、案外生活の中に入りやすいんですよ。

(nagi)
さらに使い込んだ際に味がでるっていう、、、、

(正)
そうですね。それもやっぱり先輩方がいい物を造って、いい物を見て、私どもに繋がってきているっていうのがありますよね。

(nagi)
一般の方が見ると、手入れが大変そうだと思いますが、意外とそうでもないんでしょうか?

(正)
常に使うということであれば、問題ありませんよ。
当たり前ですけど、私なんかは大分長く使ってますしね。



■手造りという事

(nagi) 消費者の手に届く前に、造り手が商品を手にもって造る。消費者の手に届く頃には、手になじむカタチになっている。当たり前だけど、現代では当たり前じゃないですからね。

(正) そうですね

(nagi) 造っている段階で持ちづらかったら、持ちづらいですからね。

(正) 目にみえない部分ですけど、その辺も、角バリとか、面取りとか、、、行程を考えた時、やっぱり使いやすさから来てる。ここをけずったり、あそこをけずったり、下準備をしているんですよね。その辺は使いやすさ、私らでも持つと違和感がある時はある。その時は徹底的に突き詰める。

(nagi) これからの“物造り”がこうなって欲しいというのはありますか?

(正) 今は、環境保護とか、地球がどうなるかがありますよね。伝統工芸という物造りの、手でコツコツ造っていく部分、生活の中でずっと使ってもらえるという部分を考えると、案外ピントはズレていないんじゃないかな。

あとは、自分が叩いて造った物が、日本が元気になるような経済の一部分、歯車の一つになったらそれが一番いいことですよね。

(nagi) そういった、環境問題を考えると、消費スピードを工芸の生産スピードに合わせる位がちょうどいいかもしれないですね

最近は、冷静に物を見る消費者が増えてきたというか、その商品を使うことで自分の生活がどんなに豊かになるのかを、真剣に考える人が増えてきつつはあると思うんですが、、、

(西片) 本当にそう思います。


■清雅堂の歴史について

(nagi) 清雅堂はお父様が立ち上げられたのでしょうか?

(西片) そうですね。昭和20年から、、、
父は若い頃に、燕の有名な彫金職人のもとに、弟子入りをして、その後、鎚起銅器の工房に弟子入りして、、、
ちょうど、その頃戦争が始まった。
父も出兵し、帰ってきてから何をしようかってことになって、キセルの模様彫りを始めた。

(nagi) それが、清雅堂のはじまりですね
お父様が清雅堂を開業なさった時は西片さんは何歳くらいですか?

(西片) 2、3歳くらいですかね
基本的に、造ることが好きでした。小学校の頃、図画工作という時間で、ちょっと褒められたりすると有頂天になったりするじゃないですか。
ウチの父は、彫金をしていたから、紙に描いた物とか周りにあって、それを参考にして描いて、学校に持って行ったりしてましたね(笑)。

(nagi) 高校卒業ぐらいになると進路の話がでてきますよね?

(西片) 中学生ぐらいのときに、悩んでいたんですよ。
美術系の学校に行くのか、職人的修行に行くのかっていう。それで結局、仕事は燕の鎚起銅器の工房に行って、夜は高校に行ってという生活をしてました。
その後、デッサンをしたかった事と、単純に東京に行きたかったという事で東京に出ましたね。

武蔵野美術大学の通信教育のようなものを受けながら、東京の銀器職人さんのところに行って、働いていましたね。ただ、そこでは生地を造る人がいて、仕上げをする人がいて、研磨する人がいて、分業化してしまっているからつまらないんですよ。
金や銀の物を墨とぎしたりして、あと半日は、自転車で、使いをするっていう(笑)。
そんな時期が一年位あって、この仕事に関してはもういいなと、、それで、デッサン、絵を描いたり、彫刻したりみたいなのを、4、5年やってましたね。

(nagi) では、まったくフリーで、デッサンや彫刻に明け暮れたんですね。

(西片) はい。あれが、創作の部分で、すごくプラスでしょうね、まず、物を見て描くという事。それは、物造りの基本ですよね。手仕事で、何か造るっていう技術はもうあったから、それにプラスして不足のものは何かって、考えてましたね。

(nagi) その後、東京から新潟に帰ってきて、清雅堂を継ぐ事になったんですよね。
清雅堂を継ぐ際に、不安みたいな物はありましたか?

(西片) ありませんでしたね。
例えば日展に出品するだとか、目標がはっきりしていたので。また、当時は仕事がたくさんありました。そういう時代だったんでしょうね。

(nagi) では、食べるのには困らなかったと、、

(西片) そうですね。
今の若い人が何をやろうかとしたときに、限られるじゃないですか。やりたい事と、やれる事とが、ギャップがちょっとあり過ぎですね。できている人もいるけど、できない人も多くいるね。もっと良くなってほしいですね。

     
 
西片正〜鎚起銅器作家(新潟県)
1950年新潟県生まれ。77年日本現代工芸展初入選、以後、各展覧会に出品・受賞。91年新潟県弥彦村に工房を移す。日展会友、現代工芸美術家協会本会員、現代工芸新潟会委員長。



一枚の板を叩いて、器を造っていく。
銅は徐々に柔らかな曲線を描いていく。





こちらは燕の鎚起職人によって制作された年代物。使い込むほど、味が出る代表例。ご自宅では年代物の器が現役で使用されていた。








人気商品の茶筒の制作課程。
最後の最後まで入念なチェックが続けられる。










西片さんのお父様が制作なされた茶筒。
側面にほどこされた彫金が美しい。








鍛金という“仕事”そして“伝統工芸”




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