1905年。アメリカ ミネソタ州。歴史が幕を開く。 アメリカ ミネソタ州 レッド・ウイング市。 スー族の大酋長ワクタ・レッドウイングに街の名前が由来するなど、かつて多くのネイティブアメリカンの種族が暮らした地。 今なおアメリカ開拓時代のたたずまいが色濃く残るこの美しい街に、1905年一軒の靴工場が誕生する。レッド・ウイングシューカンパニー(写真1909年撮影*現在も稼動中)。創業者は、自らを「シューマン」と名乗るほど靴作りに情熱を注いでいたチャールズ・ベックマン(写真)と、その熱き思いに賛同した14名の男たちでした。 創業当時の日産はわずか110足と非常に少なかったのだが、その洗練されたデザインと優れた機能性は高い支持を獲得。静かに、力強く、レッド・ウイングの歴史は幕を開けた。 1905年「ファーストブーツ」 靴紐とバックルを組み合わせたワークブーツ。 初期のベストセラーは、1919年に発売された「ブラウンチーフ」シリーズ。たい肥加工を施したファーマー向けのブーツは、全米のみならず、海外からのオーダーが舞い込むほど人気を博し、当時日産800足まで高まっていた工場の生産力をもってしても追いつかないほどの売れ行きだった。レッド・ウイングは世界ブランドとして確固たる地位を築いていく。 |
様々な人々の文化・生活の足元に、レッド・ウイング。 1920年代はラインナップが多様化し始めた時代。西部ならではのウエスタンブーツや、レディースの6インチブーツ、オックスフォードシューズなど次々リリースし、様々なワークスタイルやライフスタイルの足元をレッド・ウイングの製品が彩っていった。 |
男だけのものではない。レッド・ウイング。 1930年代、ビリーブーツの生みの親である3代目社長J・R・スウィージー(写真)のもとラインナップは更に加速。 石油採掘労働者のための「オイルキング」、子供向けの「リトル・レッド・ウイング」、若い女性向けの「ミス・レッド・ウイング」を次々と誕生させる。更にはスキーブーツやゴルフシューズなど新たなジャンル、カウボーイや鼓笛隊ナドアメリカンカルチャーに根付いたユニークなジャンルのブーツ作りにも挑戦。《ハード・労働・義務》というイメージを打ち破り、レッド・ウイングはドラマチックな変革を見せていく。 ←「エンジニアブーツ」=工場の労働者のために開発された「2268」。 ←「ハンティングブーツ686」 ペコスブーツ「1155」 農業を営むファーマー達のために開発されたペコスブーツは このレッド・ウイング「1155」が起源。 1953年リリース。 |
そして、名作が生まれた。 翌1951年、アメリカシューズヒストリーに大きな足跡を残すこととなるブーツ、アイリッシュセッター「877」がリリース。浸水を防ぐために考えられたユニークなアッパーデザイン、クッションウエッジソール、グッドイヤーウエルトなど高度な技術の隋を尽くしたこの1足は、スポーツブーツの枠を超え、ワークブーツそしてアメリカンカルチャーのシンボル的な存在となった。デザイン・素材・製法全てが現在も当時のまま作り続けられていることは、「877」の完成度の高さを物語っている。 ちなみに犬の名前はレッドマイク。3代目社長J・R・スウィージーの最高の相棒であった。 その後生誕50周年のメモリアルイヤーとなった2000年、アイリッシュセッターはハンティングに特化した新ブランドとしてレッド・ウイングから独立。アイリッシュセッターと呼ばれていたブーツは、レッド・ウイングのワークブーツとして生産され続けている。 |
日米共同開発。 1984年、日米共同開発第一弾である「875」のデザインをベースにストームウエルト、ビブラムソールを採用した「8175」がリリース。そして1995年、「875」のレザーをブラッククロムレザーに変更した「8179」をリリース。この黒いアイリッシュセッターのリリースを機に日本におけるレッド・ウイングブランドが確立した。以降、プレーントゥ・ペコス、エンジニア、サイドゴア・・とラインマンとラインナップの幅を広げ、日本の地にレッド・ウイングは浸透していく・・。 |
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