銀座嶋屋の一番の永年勤続者、水野久子会長に嶋屋の成り立ちを紹介していただきます。
大正9年銀座に生まれた私が今までに見てまいりました銀座のこと嶋屋のことを
思い出すまま書き綴って見たいと思います。
祖父が明治の初めに丸屋町(現在の銀座8丁目外堀通り)に嶋屋紙店を開店したのが嶋屋のはじまりでございます。
その後、父の代になり明治44年の5月に現在の銀座本店へ移転いたしました。
床店でございましたので電話もなく、トイレもない誠に不自由な生活でございましたが
7年後の大正3年に隣店を改造、一戸建ての自家に移ることができ
この時、父は「嶋屋紙店新営業所」と自分で紙に書き大看板にかかげたのが最高の幸せと申しておりました。
大正12年9月1日関東大震災には店舗は消失。
店を再建しましたが戦争が始まります。
戦時中で強烈に印象に残っているのは、昭和20年1月27日の午後のことです。
空襲警報と同時に銀座5丁目鳩居堂前の地下鉄入り口に爆弾が投下され
直径15メートルもの大きな穴が開き水道管が破裂、地下も地上も水浸しになりました。
私はお店の前にいましたが立っていることができず、思わず地面にうつぶせになりました。
東京大空襲の際には焼夷弾で銀座は7丁目、8丁目を残して焼け野原になったようです。
本当に大変な時代でした。
戦後、昭和22年木造の店舗を建てることになりました。
ですが肝心の材木がなく千葉の親戚より丸太を譲ってもらいトラックで運んで
やっと再建することができたのです。

写真:昭和24年の嶋屋本店
しかし、ようやくお店が出来ても商品がありません。
薄用紙を裁断して「ちり紙」としたり、ライトインキの会社から
固形染料と小瓶を譲り受け、水に溶かして自家製のインキとしました。
つけペンで書くと、はじめはよく書けるのですが、だんだんと薄くなってしまったようです。
又、車のタイヤの落としを小さく切ったものは「消しゴム」です。
あまりよく消えないのですが、それでもよく売れました。
大阪から仕入れをしにいった父が風呂敷いっぱいに品物を担ぎ帰ってきたこともあります。
それも陳列した翌朝には全て盗まれてしまいました。今では考えられないようなお話です。
そんな大変な時代からすると今の銀座の賑わいは夢のようです。
お客様のご愛顧により、現在も銀座嶋屋は同じ場所にて店舗を続けております。
時代とともに街も人も移り変わりますが、昔から変わらずに今もある銀座嶋屋へは
「懐かしい」と喜んでお買い物されるお客様も少なくありません。
常にお客様のお役にたてるよう、喜んでいただけるような店作りは開店当初と変わりません。
銀座にお立ち寄りの際はぜひとも銀座本店へお立ち寄りください。

写真:現在の嶋屋本店
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